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札幌ラーメン秘話 「富公」

札幌ラーメン秘話 「富公」

 

札幌の中心部の商店街、狸小路7丁目にかつて 「富公」 というラーメン屋があった。その「富公」の菅原富雄さんが、52才という若さで食道ガンで亡くなったのが平成4年なのだから、もう20年以上経つことになる。しかしながらその強烈な個性と、癖になるあの味の余韻が舌から離れず、いまだ心の中に富公を引きずっているラーメン好きも多いはずだ。それだけ魅力的であった。葬儀の席で、札幌ラーメンの代名詞ともなった「みそラーメン」を考案し、師匠でもあった「味の三平」の大宮守人さん(故人)が痛恨の想いの弔辞を述べられた時のことを昨日のことのように思い出す。考えてみれば、現在、これほどまでに隆盛を極めている「札幌ラーメン」であるが元をたどれば、大宮さん、菅原さん(以降、富公さん)にたどり着いてしまうということの奇妙さと、表で語られることのなかったその功績の大きさに今さらながら驚く。

 

亡くなる1年ほど前からは、営業も不定期であったので、心配はしていたのだが、何故か心の中では、また元気になって仕事ができる日がくるにちがいないという確信めいたものがあった。それだけ、往年の富公さんは意気軒昂であったし、寒い冬場でも高下駄と半袖で仕事していたし、お店では自分の好きなように振舞っていたから、病気なんかにかかるようにはとても見えなかった。町内を廻ってきた回覧で彼の死を知った時のどうしようもない悲しさと無力感を忘れることが出来ない。

 

「頑固親父で変人だけど味はいい」というのが、彼に定着したイメージだったはずだ。確かにそうなのだが、何故そうなのか?今、思えばいくつか思い当たる節もある。まず店の作りである。店舗は奥に壁で仕切られた部屋があり、そこで奥さんやおばあちゃんが手伝っていたのだが、その壁には小さな窓があるだけで、そこからお客さんの使ったどんぶりを下げたりするのだが、奥の様子は店からは窺い知る事は出来なかった。つまりお客さんが店に入るために引き戸を開けると、そこには富公さん一人しか視界に入ってこない構造になっていたのである。

 

普通、行列を作っている繁盛店では、入店して視界に入ってくるお店の人は複数人であろう。ラーメンを作っている人が2、,3人だったりホールを担当するスタッフがいたりである。それが富公さんでは、富公さん一人なのである。しかも「いらっしゃいませ」が無いのである。ここでお客さんは店内の雰囲気が異様であることを察知することになる。静かなのである。満員の店内が。初めてのお客さんであれば戸惑いながらもカウンター席が空いていればそこに座るのだろうし、込んでいれば後ろの長いすの最後にちょこんと腰を下ろし、この異常な静寂の理由を知ろうとしたはずだ。

 

とにかく口数は少なかった。富公さんがしゃべるのは、お客さんの注文を奥の部屋の人に伝えるために注文された品を「味噌いっちょー」とドスのきいた声で発するのみである。あとは一見さんが、富公さんが作ったラーメンをカウンター越しに手で受け取ろうとする際などに「熱いから手を出すな」といったり、席の座り方を注意したりといった不定期の教育的指導が多かった。お客さんのほとんどはリピーターだったから、そういう雰囲気を楽しんでいた節もあったし、食べ終わるとお客さんから「ごちそうさまでした」と声を掛け、これには富公さんが「おうっ」と返事?をする。それが発せられる言葉のほぼ全てであった。私語禁止などという野暮な張り紙は無かったと記憶している。静寂な緊張感のある雰囲気は富公さんが自分で求め、作り上げていったものだったのである。

 

私語をしない店内のお客さんは待っている間、何をしているのだろうか?普通の人は富公さんがラーメンを作っているところをただ眺めているしかなかったのである。確かにホールより調理場は少し高く作ってあったが、お客さんからは富公さんがラーメンを作るところを一部始終見ることができた。富公さんのラーメン作りの見せ場は2つあった。一つは強火で熱した中華鍋に油を廻して、にんにくを入れ、次にもやしを投入した際に鍋から炎がボワーッと上がる瞬間である。炎が1m近くも上がるこの瞬間は見ている人の目を引き付けるには充分であった。

 

そしてもう一つが、茹でた麺の湯切りをする場面である。麺の入った網の籠を高く持ち上げて、それを思いっきり下に振って水分を切るのである。よく覚えていないが、何かに叩きつけていたのであろうか?湯切りの時に音がしていたように記憶している。とにかくこの派手に見える演出を、静かなお客さんたちはじっと見つめていたのである。いずれのパフォーマンスも、気風の良い富公さんならではのものであり、お客さんは自分に運ばれてくるラーメンに期待を膨らませるのであった。

 

僕は昼は全て外食であったのだが、そんなに頻繁に行くファンではなかった。それは行列に並んでまで食べようとは思わなかったからだ。行列はその日によってであったが、外で人が待っていない日を探すのは難しかったはずだ。道に10人以上並んでいる時もあれば、誰もいない時もあった。その誰もいない時に店を覗いて、空いている時に食べるのが常であった。だから僕の昼ごはんは、まず富公に行くのか、そうでないのかが最初の分岐点となった。どうして最初に富公の行列を見てから決めることが出来たかって?それは僕の会社が富公の真向かいだったからだ。

 

塩が僕の好みであったから、麺が食べたい時(3回に1回ほど)は塩チャーシューでそれ以外はチャーシューライスの塩であった。チャーシューライスはメニューに載っていないメニューだった。これは何かというと、塩ラーメンの麺抜き(天抜きのラーメン番)、ご飯、チャーシューの端っこの山盛り、にしん漬けの山盛りという内容である。僕はあの表面に膜が張ったあのスープ、そしてチャーシューが大好きだった。普通のお客さんに出せないチャーシューの端っこは脂の多いところあり、噛み応えある赤肉ありで、味も滲みていて、このチャーシューとおばちゃん作のにしん漬けが絶妙のバランスで、言葉には表せないおいしさであった。

 

チャーシューライスをいつから食べていたか覚えてはいないが、先代と食べに行った時に先代が「せがれにも食べさせてやってくれ」と言ってくれたのもしれない。とにかくチャーシューライスを注文すると、富公さんは、奥に向かって大声で「チャーシューライス塩 いっちょー」と言うものだから、店内の全てのお客さんに聞こえていた。当然、ファンの中には、えっ、あれ何?品書きにないじゃん、僕も食べたいなという人もいたかもしれないが、僕の知る限り、富公さんに向かって、僕にもあれ作ってください、と言った勇気ある人はいなかったし、店内で僕と同時にチャーシューライスを食べていた人もいなかった。故に、何人があれを食べていたのかは分からないが、あの富公でメニューにないものを頼むことにちょっとした優越感があったことも事実である。

 

富公さんの閉店時間は8:30PMくらいだったろうか。富公さんが向かって左の提灯の明かりを消し、暖簾をしまう。これで本日の営業は終了であったが、当時、店の奥でお兄さんが「克鳥」という焼鳥屋をやっていて、こちらは遅くまでやっていたし、左隣の「尾崎酒店」も遅くまでお店を開けて、煌々と明かりがついていたので、富公さんの閉店で特に町内が火が消えたようになったということはなかった。営業後の富公さんは、尾崎さんの飼っていた雑種の犬の「チポ」をいじって遊んだりしていたことを良く見かけた。

 

富公さんは、週に1,2回は同じ町内の並びにあったお食事処の「くぼ」さんで1杯やっていくことが多かった。ここには同じ町内の「札幌玉台」の吉岡さんや、「ソルトピーナッツ」の若主人、などもよく顔を出していたし、僕もよくここで夕食を食べていたから富公さんをよく見かけた。富公さんは狩猟を趣味にされていた時期があって、師匠と仰ぐ吉岡さんがここの常連だったから、鴨猟やカラスなどの害鳥駆除、鹿、熊撃ちの話などで盛り上がっていたはずだ。そういった時の富公さんは、寡黙で静かに過ごされていて、頑固オヤジとは縁遠いものであった。

 

物静かな富公さん、頑固オヤジの富公さん、どっちが本当なのかは多分どっちも本当だったのだと思う。でも、一度おもしろい光景を見たことがある。僕が富公でラーメンを食べていた時に、少し離れた席で男性が一人でラーメンを食べていた。少ししてその人が食べ終わってお会計を富公さんにお願いしたのだが、その時の富公さんの態度は、何となく例の頑固オヤジモードでおもしろくなさそうな感じだったのだが、お釣りを富公さんが男性に渡した時に、男性が小声で富公さんに話しかけた途端に、富公さんの態度が一変した。直立不動になった彼が発した言葉は「うちの息子がいつも大変お世話になっています」だった。子供の担任の先生だったのである。あの時ばかりは富公さんもさぞ焦ったにちがいない。

 

定かではないが、その彼の息子さんも大きくなり、北大から大手電機メーカーに就職し、立派にエンジニアとして働いているとのことである。時は流れた。思えば彼が亡くなり20年という月日が経っている。あの頃と比べれば、札幌にあるラーメン屋の件数は爆発的に増えている。味も多様だ。お客の好みもそれぞれである。おいしいと評されるラーメン屋も枚挙にいとまもないが、どこのラーメンが一番かは個人の感性の問題だ。

 

目の前にラーメンが運ばれてくる。赤茶色のラーメンどんぶり、薄い膜の張った豚骨の濁ったスープ、火の通った多目のもやし、そして強いにんにくの匂い。たまにはこんなラーメンが目の前に出てくる事だってある。一瞬、妙な緊張感に襲われてしまう。しかし、スープを一口飲めば、そんな緊張もほぐれ、何とも言えない安心感に満たされる。「 よかった、やっぱり違う 」 そしてしばし、30年くらい前の富公さんが元気だった頃のあのラーメンの味と、彼の元気な姿が心の中に蘇ってくる。「 やっぱり富公のラーメンが一番だった 」 思わず心の中でそう独り言を言ってしまう。30年という時間が経っても僕の心にそんな気持ちがよぎるのは、美味しいラーメンをたくさん作って早くして逝ってしまった富公さんに対する僕のささやかな感謝の気持ちの表れだからなのかも知れない。

 

             梅沢無線電機株式会社 代表取締役   梅沢 英行

 

| 会員投稿 | 2008.04.10 Thursday | comments(35) | trackbacks(0) |
コメント
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2016/08/21 10:38 PM |
確かに昭和58年頃に手伝いの親父がいました。いつも怒られていましたね。熱いどんぶりをお盆で運んでいました。でも、でも、熱い並々のスープに菅原さんの指が入っている。あのダシが富公のうまみだと友人と語っていました。
| kasai toru | 2015/05/28 10:55 PM |
大麻中学校 卒です
初めて富公のラーメンを食べたのは中学生のとき。雪まつり開催前日に写真を撮った後に入りました。その頃は、80年代後半のような常態化した行列は少なかったと思います。高校時代、ラーメンを食べた後、向かいの電子部品屋さんにはいるのが常でした。冷房がきいていてよかったです。鉄道模型をやっていたので、リレースイッチなどの部品を見るのが好きでした。その後は3丁目の千秋庵本店で滑らかなソフトクリームを食べるのが楽しみでした。お世話になったのは梅沢無線さんだったのですね。
バイクのヘルメットを「鉄かぶと、そこに置け」と若いあんちゃんに言っていた おやじさんが懐かしいです。
いまだに醤油とみその見分けがわからないです。
| kasai toru | 2015/05/28 10:34 PM |
38年前初めて来た札幌で札南出身の友達から”ここが一番うまい”と教えてもらったのが富公でした。冬の寒い夜、北10条のアパートから歩いて富公まで行ったことを思い出します。定年になったら富公に行こうと思っていましたが、もうあのラーメンを食べられないことを知り残念です。今でも私の舌に白濁したスープのうまみが残っています。
| 茨城定住の元北大生 | 2014/09/14 6:47 PM |
膜の張るラーメン!世界中探しても,無いような気がします。あのラーメンを食べた人は,生き証人だと思います!それなりに美味しいかな!?と思うラーメンは,多少はあります!しかし!!!食べて感動するラーメンは,親父(富公)のラーメンだけです!…………………親父のラーメンを食べたいです!昭和60年の1月,親父のラーメンを食べたあの日!忘れる事が出来ません。
| たもっちゃん | 2014/05/15 7:29 PM |
今40才の主婦です。私は関東の人間ですが、札幌出身の母が三越に勤務していた頃常連で通っていました。結婚して神奈川に移り住んだ母が帰省した時に、小学生だった私も連れて行ってもらいました。
無口で怖そうなおじさんでしたが、黙ってお客さんが食べてるのを見ながら、ふとこぼれた笑顔が忘れられませんでした。
閉店したことは母から聞かされていましたが、30年経っても忘れられず、ここにたどり着きました。美味しかったなぁ。
| ema | 2014/02/16 10:02 PM |
(すみません。修正させていただきました。こちらをイキでお願いします)
私は45歳になるオジサンさんです。初めて行ったのは小学校通う頃でしたでしょうか。父母に連れられて行った当時のわたしは、本当は西線11条駅そばの「にこにこ食堂」が本当は好きだったので、すこし不満げだったと思います。しかし、思春期になる頃には世界一好きなラーメンになっていました。

親父さんは照れながらも色々と声をかけてくれました。ある日、注文の時「醤油で…」って頼んだら「おまえ、醤油飲むのか」ってからかわれました。近くの人も吹き出してました。毎回は言ってもらえないけど、言ってもらえると、少し優越感感じましたね。

最近は一徹さんにお世話になっています。味は一生探求なんだと思いますが、男のロマンを感じます。
| うどん聖人 | 2013/09/17 12:05 AM |
 お店がまだ丸井前にあった頃、三ヶ月間ほど見習いをさせて頂いた経験があります。二年ほどしてお店は少し離れた狸小路へと移られましたが、移転後も前にも増しての大繁盛。
そして幾星霜。「冨公」ののれんが出ない日が続きました。
ご病気でした。所謂Terminal-illと呼ぶ厄介な病気です。

 お見舞いの病床で「お前、ラーメン屋やる気ないのかぃ?」と、小さなお声で問われました。まるで喉の奥から搾り出すようなお声でした。五日後、冨公さんはお亡くなりになりました。  継いで「冨公の味」は継げるものじゃ無いにしても、老いた今、往事を振り返る度に、無念、後悔、生き方の意味を自問しています。
| コラ!! | 2013/08/15 10:22 PM |
懐かしい富公。学生時代、旅行で札幌に来た時に食べました。サービス業なのにすべて客には命令口調!でも評判は聞いていたので、逆に笑えました。オヤジのパフォーマンスが圧倒的で湯きりなど見ていて飽きなかったです。

社会人で札幌に出張の時、勇んで行ったのですが、店は無く、地元の人に聞くと「富公は死んだ」の一言。ショックでした。本当に伝説の店です。
| シェルパ | 2013/07/27 2:40 PM |
あれは26年前の夏。学生旅行中だった自分は仲間6名程度で富公のオープン時間に入店。すぐにほぼ満席。

その日の親父は普段にも増しての不機嫌振り。スープの味見をしながら何度も首をひねる??どうしたんだろうか?
と数分後店員の男性(確か注文を聞きにくる中年の男性がいたと思います)に親父が言った一言は何と「シャッターを閉めろ」。
そして我々客にはこれまた何と「食ったらお代はいらねえから裏口から出てくれ」。
時間は正午ちょっと前。これから稼ぎ時。
仕込みが気に入らなかった様です。

普通においしく頂いて無償で店を後にした。
その時はそうも感じなかったがあのこだわり、プロ根性。
ああ懐かしく、もう会えないのが悔しい。
| トミー | 2013/07/24 10:17 PM |
 学生時代に月1〜3回のペースで通っていました。
 時々むしょうにあの味が懐かしくなります。みなさん醤油を食べていましたが、私は味噌派でした。後半醤油のおいしさに気づいた頃から、休業が多くなってしまいました。味噌も塩も醤油も、見た目はほとんど同じ色で、ほとんど区別がつきませんでした。
 店に入るとき、「こんにちは」と言っても、普通は無視されるのですが、常連になると、「おう」と言ってもらえます。通ってたしか半年ほどで「おう」と言ってもらえるようになったので、常連の仲間入りが出来たと、嬉しかったことを覚えています。
 真夏の暑い日に、汗まみれで「火の儀式」を終えてスープを注いだあと、「いやあ、しみじみと暖かいねえ」と言って店内爆笑だったことを覚えています。
 あのいつも怒られていた体格のいい仏様のような顔をした弟子の男性は、今何をしているのでしょうか?
 あの味はその後どこに行っても出会えず、残念なのですが、唯一白石12号線近くの「まるとも」の味噌ラーメンが少し近い感じがします。
 今度時間が出来たら、一徹などに行ってみようと思います。
| todo | 2013/04/07 8:32 AM |
富公さん、行ったことはなかったけど私の中では伝説のお店でした。
母が札幌の出身でここのラーメンが大好きでした。北海道に行く時は必ず寄っていたと思います。

富公さんが営業していた頃、私はまだ小さな子供で連れて行ってもらえませんでした。
兄が小学生になって、私もどうしても行きたくて楽しみにしていたのですが、マスターに怒られるからという理由で私が昼寝をしている間に内緒で食べにいっていました。
おしゃべりな兄は私に富公で食べたと自慢をし、私は泣きながら、早く大きくなって富公のラーメンを食べるんだ!と心に誓っていました。

そして中学生になって、母と二人で北海道旅行に行った時、富公さんに立ち寄ろうと思ったら…お店がない!!
母が周りのお店の人に聞くと、マスターが亡くなったと…。
すごく残念で悲しかったです。
ずっと食べたかったラーメンだったのに幻になってしまいました。
それからは富公さんの味に近いラーメンの噂を聞いては食べに行って、なんか違うと話をして、その度にやっぱり食べたかったと思いました。

そんな母も亡くなって、本当に富公さんのラーメンの味がわからなくなってしまった今、このブログを見てすごく嬉しくなりました。

母の話によると、テレビの取材も一切断る、野球選手が入ってきてもうるさく話をしていたので追い出すような頑固親父。一度会ってみたかったです。

懐かしい思い出を思い出させていただきありがとうございました。
| カナ | 2012/10/31 8:48 PM |
ラジオ少年が梅沢の帰りに寄ったラーメンから、
結婚してからは夫婦で、あのラーメンを食べるために狸小路に通いました。
あの独特の色のスープの旨み、未だにどこにもありません。
「富公」が無くなってからも、何度か、空き地の前に夫婦で「ぼー」と立ってたことがありました。
その妻を昨年亡くし、レスを読みながら一人涙してます。
| ポンタ | 2012/08/17 5:09 PM |
私もオヤジさんのラーメンの大ファンでした。

と、いうよりも今もラーメンは富公のオヤジさんのラーメンなわけで、
オヤジさんのラーメンが食べれなくなってからは、ラーメンを食べなくなりました。

私はどういうわけかオヤジさんに可愛がってもらっていました。
私には注文はとりません。
「お前は塩と決まっているんだ」と
他のラーメンの注文はさせてもらえませんでした。
そして、丸顔なので太ったら困ると
「スープは飲むな、麺も残せ!」と
小柄な私の胃袋を心配してくれました。

生涯 最後となったオヤジさんのラーメンも忘れられません。

オヤジさんの病気を知ってから
のれんが下がっていると 誰彼か知らせてくれます。
ちょっと特別な用事があり、普段とは違う服装をしていたけれど
お店に寄ってみました。
そうしたら、オヤジさんが 普段と違う私の服装に
とっても感動してくれて
「馬子にも衣装だな〜」と
ラーメンを作り終わってから 私の向かいに座って
「お前がラーメン食べる姿をみさせてくれ」と・・・
とっても気恥ずかしかったけれど
今となっては 素敵な思い出です。

もちろんオヤジさんとはカウンター越しだけの
お付き合いで、オヤジさんとお前だけの仲でしたが
私は、「オヤジさんとはラブラブ」だったと今もそう思っています。

だから、オヤジさんが作ったラーメンしか食べたくなくて
ラーメンが食べられなくなりました。

オヤジさんが亡くなってから20年経ったけれど
私の心の中では オヤジさんのラーメンの味や香りは
そのまま残っています。

素敵なお話をありがとうございました。

読んでいて、幸せになってコメントをさせていただきました。





| あきこ | 2012/07/18 3:43 PM |
富公さん、本当に旨かったですよ!

私は関東の住人。25年ほど前に出張で訪れた折、提灯の風情?(ちと、記憶が曖昧です)につられて「ふらっ」と入ってびっくり!
順番待ちの客が、無言のまま壁際にびっしり!皆さん、まるで先生に叱られた「立たされボウズ」の様相。

やばい、と思いつつも、お次の方が私の後ろに並んだのでもう逃げられない。覚悟を決めつつ、店内の観察を開始。

ご主人が立ちんぼの客に、「そこっ(に座れ)」と空いた席を手短に指示。
従順に従う客。次に「何する」。以上がすべての会話。
しかし、なぜか刺々しさは皆無。

ついに私の番。「そこっ」「何する」
「しょっ、醤油‥」なんとか言えました。

そして、旨かった!で、熱かった!

隣の高校生と思しき客がスープをこぼす。
「しょうがねえなっ」と言いつつ、笑顔で布巾を差し出すご主人。どうやら、シャイな側面も!
それ以降に出現した、形だけの「頑固ラーメン屋」とはまったく別物。

以来、札幌に行く機会があれば時間を工面して通うこと4度。
勇んで向かった5回目。シャッターが降りていましたね。
さらに翌年、シャッターにご主人の容態を気遣う顧客のメッセージが多数。やっと事情が分かりました。

所詮は関東からの一観光客ですが、いつの日か、札幌に富公さんの味とスピリットを継ぐお店ができるのを心待ちにしています。

余談ですが、ロンドンのピカデリーに「Wong Kei」と言う名の中華料理店があります。ご存じの方も多いと思いますが、この店の「ぶっきらぼうさ加減」と根底に流れるヒューマニズムは、どこか富公さんを彷彿させます。

それでは。
| 関東人 | 2012/04/06 2:30 AM |
ふとラーメン食べたいなぁ…と
夜中ながらに思いつき、そうして思い出した懐かしいお店の名前で検索してここへと辿り着きました。

こちらも今は亡き母親なのですが
富公さんによく連れて行ってもらってました。
何か母は店主に気に入られてたのか
味を継ぐか?とのお誘いもあったみたいですがいかんせん飲み屋のママの様なものだったので笑いながら断ってたり。

亡くなった後に、きちんと教えてもらって継ぐのも良かったかもねぇ…としみじみしてました。

まぁ連れて行ってもらってた頃は
自分も6歳とかそこらだったので…
良くコップ割ってました(笑)
でも怒られはしなかったですね。
上の方の様に店主の無骨さに腹を立ててしまった人もきっと多く居たのかもしれませんが
私には美味しいラーメンを食べさせてくれる
凄いおじさん、なイメージでした。

あの暖簾をくぐると香るスープの匂い。
いくら願っても叶いませんが家族皆で食べていたあの時の空気を少し思い出せて嬉しくてつい書き込みをしてしまいました(笑)

今は東京に住んでるのですが
いつかどこかで富公みたいな味に出会えたらいいなぁ。
| 真生 | 2012/03/04 5:20 AM |
50年くらい前の記憶ですが...
中学生の私は親父と初めてラーメン屋に入りました。
丸井の近くの「富公」で、店主の火炎にびっくり、そしてラーメンのおつゆに2度びっくりです。麺に合うこんな味は凄すぎて。
店主は客がおつゆをこぼすと文句を言っていました。でも親父には別人の様に話していて...
当時は「しょうゆ」も「みそ」も、まして「しお」などありません。

また少しこげた油膜がうっすらと包む、もやしとにんにくの入ったラーメンが食べたいです。
あの味こそがラーメンです。
| joe_yoshi | 2011/09/02 3:21 PM |
懐かしいですね。

 自分が富公に初めて言ったのは昭和60年から61年ころでしょうか、小学校低学年だった私は親に連れられて「あの」店内の雰囲気の中、とてつもなく熱いラーメンをすすっていた記憶があります。

 ある時、いつものように後ろの席で、順番を待っていたら、店内がとても忙しかったのか、富公さんが(まだそのころは菅原さんということも知るはずもなく)
「そこの坊主、ドンブリ洗うの手伝え!」
と言われ、店内の笑いを誘っていたということがありました。

 この時、子供ながらに、あの「富公」の、あの「親父」に話しかけられたということで、何か特別な事が起きたんじゃないかと、当時、一人で優越感のようなものに浸っていたと思います。

 それからしばらくしてお店が閉まってしまい、自分も年を重ねて、富公さんが修業した大丸藤井ビルの「味の三平」、その味を継いだといわれる、「一徹」、西野の「紫雲亭」、地下鉄白石駅の「冬冬(トントン)」など食べ歩いてきましたが、やはり富公の味ではないと思いました。(どちらのお店もとてもおいしいですよ、富公と違うというだけです。特に「味の三平」には大変お世話になりました)

 あの臭みのあるスープ、富公さんの「ガチャーン」という湯切りの音、中華鍋の炎、一瞬だけ静まり返る店内、といったように、あれから20年も経つのに、強烈な印象として思い出せるということはそれだけで凄いラーメン屋さんだと思います。
| 元さっぽろの住人 | 2010/09/13 10:08 PM |
船舶無線装置の事でネットで調べ物をしていたら、記事の
右側に札幌のラーメン店「富公」の文字が出ていたので
しばし皆さんのコメントを読ませてもらって、思わず
なつかしくなり小生もコメしたくなりました。
狸小路5丁目のお店には3回か4回行きました(小生は
札幌生まれですが、東京で働いているので帰郷した際に
家族で行きました)。
店主(菅原さんでしたっけ)はみかけは強面の厳しそうな
おじさんでしたが、まだ2歳だった長女を見るとこちら
から御願いしなくても、黙ってカウンターに子供用の
どんぶりを出してくれる優しさをお持ちでした。
あそこのどんぶりは小さめの浅いどんぶりでしたね
味は絶妙でしたね。あの味は忘れられないですね。
小生は居合わせたことは無かったですが、態度の悪い
お客に対しては容赦なかったらしいですね。
噂ですがあの落合(現ドラ監督)も怒鳴りつけられたとか。
文字通り、ラーメンに命を賭けていたんでしょうね(合掌)
競馬好きだったとは知りませんでした(金曜日の夜にでも
新聞片手にお店に行けば良かった)

子供の頃に南26条に住んでいたいたのですが、
「東屯田通り」の電停近くにあった「あさだ」のラーメン
も好きでした。子供時代のささやかな贅沢でした。

札幌生協西野店のすぐ横に「紫苑」というラーメン屋さん
がありますが、天井には「富公」の暖簾が飾ってあります。
実家に帰った際に時間があると食べに行きます。
ご主人が富公のラーメンに感動して店を開く決心をした
とか。富公の味とは別の味ですが、みそラーメンはこってり
していて小生好みです。そういえばここのどんぶりも
小型の浅めのどんぶりです。




| Bayblue | 2010/08/31 12:31 AM |
富公さんの思い出は、親父さんの優しさですね 昼は無愛想な親父さんでしたけど 競馬の好きな親父さん夜にラーメンを食べながら 予想をして代わりに馬券を買ってあげたりしてました
その時の親父さんの無邪気な笑顔は一生忘れません 毎週週末に行ってましたけど お客さんのいない時に予想をしいぇいた親父さんの笑顔は一生忘れません
本当に惜しい人を無くしたと思いますね
今のお店には行ってませんが札幌に帰った時は行きたいと思います
若き日の自分が懐かしく思いました
| ゆう | 2010/06/30 9:15 PM |
通りすがりをお許しください。

富公の思い出。。
昭和の時代、私は札幌勤務で良く通いました。
とにかく店内ではラーメンを作る事に集中していました。

何度も通うと、なんとなく顔を覚えられ
醤油を頼もうと思ったのに、脳みそ足りないから味噌だな!と
勝手に味噌にされた覚えがあります 笑

親父さんは、確か一回に4杯くらいしか作りません。

前のお客さんが3人味噌だと、おのずと味噌にしたようです。。

あるとき、観光で来たのでしょうか、、バイクに乗った若者が
カウンターに座りヘルメットをテーブルに置いたら、
そこに置くな!!と怒られていました。。やっぱり。。

うちの、かみさんは閉店間際に友人と行き、
最後に椅子を元に戻したら、
おやじさんに、どうせなら全部椅子を揃えてから帰れ!と言われ
揃えて来たぁと言ってました。

私に対して一度、おやじさんが、謝りました。。

休み明けの開店早々に行ったのですが、
麺をゆでる釜の温度が、いまいち本番にならず
麺が少し柔らかくなってしまって失敗した・・・
我慢してくれ・・すまん・・と言った。

とにかく、ライスを提供したり、お釣りのやり取りの時間が
大嫌いなので、常に百円玉を準備して食べにいった想い出があります。

当時、札幌市役所勤務の私の友人が言っていました。
年に、数件あの態度は何だ!と観光客から苦情が入るそうです。w
私は言いました・・しょがない・・ですねと。。

小さめのどんぶり、火の入ったもやし、
油の浮いた少々濃い目のスープ、
黙々と作るおやじさん、黙々と食べる自分、
懐かしくて、思わず書き込みました。。


| かしわそば | 2010/05/29 8:16 PM |
昭和60年に富公のラーメンを初めて食べました。ひと口スープを飲んだ瞬間、頭に電気が走るような衝撃を感じました。それなりに美味しいラーメンに出会う事ゎありますが、富公を越えるラーメンに出会う事ゎありません。富公のラーメンゎ美味しいというだけでゎなく、感動するラーメンだと私ゎ思います。もう一度食べたいと思う人ゎ私だけでゎないと思います。
| たもっちやん | 2010/05/13 2:04 AM |
確かに、あの味は忘れなれらいくらい旨かった!
でも、あのオヤジの態度は大キライだ!!!

今も思い出すが過去、大阪から4度食べに行った。
その度にふてぶてしい態度が気にいらなかった・・・

行く度に「食べさせてやっている!」って感じで
みんな、おつりをもらわずに帰って行く人ばかりで・・・
私は、意地でもおつりをもらって帰った。

あの商売のやり方は、絶対間違っている!
いくら美味しいとは、いえ「食べさせてやっている」
と言う態度は、お客をバカにしていた。

それが通った時代なのか???
この不景気の時代なら絶対に通っていない態度だった。
私には、味が日本一でも、お客がいるから、自分がある!
客がいなけりゃ店は、潰れてしまうのだ。

味が最高だろうが、おごり高ぶりは、最低の人間のする事と思う、それが頑固オヤジだったとか、話を美化しすぎだと思う。

私は、あの味は、最高だが、あのオヤジの態度は、最低だったと思った。この書き込みでブーイングがあるかもしれないが、私が感じたそのままです。私は、ラーメンを食いに行った以外は、あのオヤジに何の迷惑は、かけていないのに「お前」だとか「そこに座れ」とか客をバカにしすぎだ、とても良い人間とは、感じなかった。

もっと商道と言うものを学ぶべきだったそんなオヤジだった

| toshi | 2010/02/27 7:46 PM |
はじめまして。
いいですね。みなさんの記憶の中の富公。
僕が旅行添乗員として日本中を駆け回っていた頃、
四半世紀前かな。JTBのガイドブックにはひぐまがイチオシ。狸小路には糸末そして富公。
記憶では味噌も醤油も塩も同じようなグレー色のスープ。
オヤジさんにおしぼりを投げつけられてカウンターを拭いた思い出があります。寸胴にでかい骨が一本突き刺さり、
フライパンから炎! 何年か後に何回も尋ねたのに、
シャッターが開けられていない証拠の雪が積もっていて…。

ココを見て一徹にどうしても行きたくなりました。
| 体脂肪えっくす | 2010/02/13 11:00 PM |
 親戚一同富公のファン。幼稚園の頃、両親に連れられて行ったのが初めてだったけど、あのラーメンより美味しいラーメンは食べたことが無い。 
たまに連れてってもらうと「おっ、珍しい客がきたな!今日はもう店じまいだ」って暖簾をしまってくれたりしたのが何かうれしかったりして。
子供の目線だとかなり高い位置におじさんがいた気がする。
カウンターの向こう側から火柱が上がって驚いたり、おじさんとお客さんとのやりとりにびっくりしたりしてたっけなー。後、食器を下げる窓の向こうに誰がいるのかも気になってたな。
でも一番印象に残っているのが、出来たラーメンを持っている左手の親指がスープの中に入っていた事なんだけどね。
ラーメンはもちろん、おじさんの人間性も含めて本当に最高の店だった。
| 富公のラーメンが食べたい35歳 | 2010/01/31 12:15 AM |
平成2年頃でしょうか。
北海道にドライブに行った際に寄りました。
札幌出身の同僚から「富公」がうまいと聞かされてましたので、迷わず向かったのですが・・・
残念ながら、休業状態でした。
張り紙には全国から来た人達の励ましの言葉が書いてありました。
一度も食べれてませんが、きっと美味しかったんでしょうね・・・

結局、適当な店でラーメン食べて帰りましたが、そこが凄く美味しかったです。普通のチェーン店みたいな感じの店だったんですが。
札幌のレベルの高さを知りました。
富公、一度食べたかった・・・
| anarchy | 2010/01/27 1:03 AM |
今から20数年前、世にラーメンおたくと言う言葉もないころ、スキーのついでに、数少ないラーメン本を手にして東京から札幌まで富公に食べに行きました。
初めて友人と共に入店した時は他に誰もお客さんが無く、本当においしいのかと思いました。
おやじさんは無愛想で「何にする」と一言。
味噌を注文したらドンブリにスープがこぼれる寸前のいっぱいいっぱいの大盛り。「こぼしたら一滴10円だよ」と景気のいい声。
一口すすったら、びっくりしました。こんなに旨いスープは飲んだことがない。友人も同じく驚いたのか、2人顔を見合わせました。こう言っては失礼かもしれないが、師匠の味の三平を軽く超えてると。
しばらく他のお客が来なかったので、「今日は貸切だな」と、おやじさん。しばらく雑談をしたけどお客さんが来たので「また来ます」と帰りました。
翌年、スキーで札幌により富公へ。しかし満客で入れず。日程があるので諦めました。
翌々年、またまた富公へ。しかし何故か休業中。
同年違う機会で札幌へ。またまた休業中。
そして次の年、店代わりしてました。なぜ閉まったのか疑問に思っていたのですが、ここへきて真相を知りました。
一徹に入ってみましたが、たしかに似ていて美味しかったです。しかし感動まではなかったと記憶しています。
結局1回しか食べることしか出来なかった富公。
20数年年経過して、後にも先にもラーメンで感動したのは富公だけです。そして1回だけなのに、こんなにも強烈に印象が残っている。自分の中で味を美化しているのかも知れないが。
今でもラーメン店は数多く食べ歩きしています。
ラーメン本に載っている有名店もかなり廻りました。でも「何でこの味で並んでるんだ?」「自分の舌で確認してるのか?本で褒めるから並んでるの?」と思う店ばかり。
本物に出会いたいと思う時、富公を思い出しています。
| ラーメン大好き中年 | 2010/01/25 9:49 PM |
 小生ただいま61歳、岩手の遠野市在住ですが、学生時代は札幌に住んでいました。その時の友人の一人がアルバイトで富公のウェイターをやっていて、「俺がバイトをやってるラーメン屋に食いに来てくれよ」と言われたのがきっかけでその後何度も友人たちと店を訪れました。
 去年11月に札幌に住む次男坊の結婚式に出席のため、ほぼ40年ぶりに札幌を訪れ、「富公」のラーメンを食おうと思っていたのですが果たせず・・・
 帰ってきてからも「富公」はどうなったのかな?と妙に気になっていたのですが、あんなに旨いラーメン屋が潰れるわけないよな〜と考え、インターネットでの検索を思いつきました。そして、オヤジさんが若くして死んだこと、何人かの人が「富公」の人と味を懐かしく思っていることなどを知り、感慨深いものがあります。
「怖いオヤジ」「頑固なオヤジ」と皆さんが異口同音に述べられていますが、私の印象はかなり違っています。友人との絡みがあったせいかいつも笑顔で迎えられ、優先的に席をあてがってもらいました。
 バリっとしたスーツ姿の、見るからに一流のサラリーマンを「満席だ!」と言って追い返しておいて、かわいいOLを「お姉ちゃん、座れるよ」と招き入れる。そうしておいてから、男性客に向かって「おい、あっちに席を替わってやってくれ。この子が座れねえだろうが!」と強要する。そんなことはしょっちゅうでしたが、そんなことをするたびに私たちの席にやってきて「な!男に食わせるよりはよ、あんなかわいい姉ちゃんに食ってもらった方がいいだろうが?」と嬉しそうに笑う顔はいたずらっこのようでした。
 来月、初孫の顔を見に札幌に行く予定です。「富公」の味に近いラーメン屋ってあるのかなあ?
| 遠野の馬の骨 | 2009/12/28 10:55 AM |
新潟から
スキーツアー
わくわく飛行機で

とにかく
美味しいもの食べたい
スキーとグルメツアーになりそうな
予感

タクシードライバーさんに一言質問
北海道で一番美味しいラーメン屋さん

怖い上手い
味噌ラーメンをいただきました
いまだに
あの
味が
唇に残って
いることを覚えています

本当に美味しかった(^o^ゞ


| かめすっぃま | 2009/12/10 11:53 PM |
わたしも富公の大ファンです。親父さんが死んでから、夢にまで見たと言って過言ではなかったわたしですが、一徹の事を聞いて小躍りして行きました。かなりいい線いってますが、なんと言えばいいか、白黒写真見ている感じです。そっくりなんだけど、なんかが違うんですよね。

終わり頃には、弟子なんでしょうか、しょっちゅう起こられている人がいましたね。絶対に弟子なんかなりたくないと思ってましたが、自分は結構、おまい弟子になれと言われてました。あのとき本気出して弟子になってら、どうなってたんだろうな、と思う今日このごろです。

東京住んではや7年、天下一品で落ち着く、自分のラーメンレベル低下に唖然とする今日この頃です。
| おまい、弟子にならないか? | 2009/11/20 11:40 PM |
今、娘がこのブログ(?)を知らせてくれました。
私は18歳の時、富貴堂裏にあったときからの常連でした。
その頃のおじさんはこわくてこわくて・・・。それでも
食べに行きました。怒られているお客を何度もみました。
娘は行儀が心配で3歳くらいになるまで連れて行けませんでした。
子どものどんぶりなんてないんだよ!といつも娘に言っていました。息子も緊張して食べていました。その息子も32歳になりました。懐かしいですね。あれほどおいしいラーメンはいまだに出会っていません。私と同じ気持ちの人がいたんですね。うれしいです。
私も以前自分のブログに富公のおじさんのことを書いたことがあります。亡くなって本当に悲しかったです。
| 富公のおじさんの味に惚れて通った59歳のおばさん | 2009/07/04 10:20 PM |
とても感激して文章を読ませていただきました。

私が狸小路8丁目の札幌本多小劇場にいました頃、
うちのスタッフの1人が富公さんのラーメンを
毎日と言っていいほど食べてました。
芝居でうちにやって来る俳優さんにも
ラーメン屋さんを紹介する時は必ず
富公さんを紹介してました。

ある日、東京乾電池の公演で柄本明さんが
滞在してました時、富公さんへ一人で
ラーメンを食べに行ったそうです。

現れた柄本さんを見たご主人は

「おぅ、よく来た、まぁ座れ」と

おっしゃったそうです。

柄本さんがその後、うちの劇場に来るたびに
富公さんを訪れてました。

| タカ | 2009/05/21 12:55 AM |
初めまして。
若造(中学〜高校)時代にラジオライフの自作で、とうとう手に付かな
かったハンダゴテを握って、梅沢さんに無知で御迷惑をかけてた
「文系の理系マニア」の今は一徹の"ささやかな"サポーターです。

「頑固親父」と言われる富公のオヤジさんですが、浪人時代、
時間を外して行ったときに、何と1vs1のサシで食べるという
状況になったことがありましたが、若造1人にも決して手を
抜かず豪快に炎を上げて仕上げてくれました。
そしてお客が途絶えたその時間、少し離れた椅子に腰掛けて
本当に美味しそうに煙草を一服していた姿(物真似出来ます!)
そして「頑固」って言っても店内で並んでいて座る順番を間違えた
時にも「兄さん兄さん、こっちの人が先だよ」って感じで、
頑固に嫌悪感を感じなかったのを憶えています。
逆に酒だビールだと「ラーメン屋にフリで酒を飲みに来た客」
には帰ってくれこそ言わなくても厳しかったなぁと。

惜しむのは「札幌ラーメンは味噌ラーメン」と思いこんでいた
私が札幌ラーメンの出発である醤油を食べなかった事です。

「富公」を知っている「若造」でしたから、健康を害して
胃が小さくなってから「大雪の蔵」に酔うのが限界でなかなか
ラーメンまで行けない昨今ですけど、今年の歓送迎会シーズン
には早めに1次会脱出して一徹で大雪の蔵から醤油ラーメンまで
楽しんで帰るぞとコンディション整えてる昨今です。

追伸。
自作パソコンはやるもののパーツ組み付け程度で梅沢さんに
なかなか足が向きませんが梅沢さんが有ることに一徹さんに
行くたびに「俺の札幌」が存在する事を感謝してます。
| Горики_Коен | 2009/03/08 4:50 AM |
・・30年前・中2の時に富公との出会いでした・
今年・札幌に帰省の際は一徹さんに行きたいと思います。
| hide | 2009/01/24 6:31 PM |
今日、偶然にこのレスに出くわして、「そういうことだったのか」、と納得した。僕が初めて富公に行ったのは、18歳の時なので25年も前である。あの味が忘れられす、富公後に一徹が出来てはいたものの、今の今まで入ったことはなかった。明日、出張なのでぜひ行ってみよう。日曜が休みなので明日しかない。貴重な情報をありがとうございます。
| 今は無き店を偲ぶ元北大生 | 2008/06/13 8:57 PM |
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